はいこんばんは管理人です
今回はハートネットTVにて出演する
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車いすの演歌歌手
である木田俊之(きだとしゆき)さんをご紹介します
サクサク行きましょう
木田俊之(演歌歌手)

髪形がリーゼント風な感じですね
いのちあるかぎりって映画が今は有名でしょうかね
まぁ、実際タイトルにもあるように昔暴走族にいたんですけどそこはちゃんと会いますので後で
まずは出身
青森県大鰐町という小さな町の出身で小さいころは津軽手踊りをしていた祖母の影響で津軽民謡を歌いながら育ったそう
しかし生まれた歳が昭和32年なもんですから教育も割と体当たり的で中学生の時には担任の先生から『頭の良い者は頭を使え!』『そうでない者は、身体を使え!』と言われたそうです
こんなん今言ったら大炎上だしクレーマーも黙ってないですよね
むかしなのでじゃあ手に職を付けるかとなったんですがまさかの高校すら進学しない
そう、木田さんの最終学歴は中卒で中学卒業と同時に左官となります
左官っていうのは建物の壁や床、土塀などを、こてを使って塗り仕上げる職種のこと
つまるとこタイルなどの施工をする大工というか建設関係です
木田俊之(演歌歌手)の過去は暴走族!?
こう言ってしまうのはアレですけど昔は不良モノとかがめちゃクソ流行った時代でブームもきてて就職した16歳の頃は暴走族に入ってたそうです。
警察に何回も連行されたこともあるとか
似たような経歴では新沼謙治さんとか橋幸夫(若いころは不良)さん
新沼謙治さんも同時期に左官でしたからね
ちなみに少し調べたんですが昔の暴走族は今と比べてマジで野蛮過ぎて最早マッドマックスレベル
傷害事件の内容がチンピラなんてものじゃない
今の演歌に繋がったのは仕事中に親方にかけてもらった演歌や歌謡曲
歌をよく聞いていたら演歌歌手になる夢を抱き左官の仕事を求め千葉県柏市に
そこで当時東京で人気の流しの斉藤という方と夜の繁華街で一緒に歌いデビューを試みるためにスター誕生に応募したりしましたがあえなく落選
この頃は20歳でしたか、新沼謙治さんはこの頃にデビューしていました
ちなみにこの話はちょっと続きますが今の演歌歌手になるまでは
41歳になるまでデビューしていません
何故か?
20代前半は恐らく応募落ちしてから活動が希薄になったんじゃないでしょうか、記録があまりにもなかったので
25歳の時には奥さんに出会ったのもあって他の職種、具体的にはタクシードライバーで稼ぐようになります、この辺は後で詳しく書きます
それから1年後の26歳の時に地元に帰りカラオケ教室に通って歌番組やのど自慢に出場をしていたもののデビューには至らず
お祭りや歌謡ショーで舞台に立ち小遣を稼いでいたんだそう
でもこのポジションで当時は満足していたそうです
しかし30歳でとんでもない病気にかかります