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筒井宣政(東海)の経歴プロフィールや人工心臓開発の経緯は?奇跡体験!アンビリバボー

人工心臓開発の経緯

大学卒業後に入社した『東海高分子化学株式会社』は、当時多額の借金返済との戦いを余儀なくされていました。

ビニール製品の、特にひもやホースやテープを扱う会社だったのですが、当時の経営状態では借金返済に72年5か月という長い年月を要する計算が算出されました。

どうにかこの苦境を好転させるために市場を探し世界を視野に入れて奔走した宣政さんは、知人の助言もありアフリカへその市場参入を試みました。

しかし、アフリカへの営業は各社に断られ、自身で製品を持って現地で営業を掛ける事を決心しました。

語学に自信の無かった宣政さんは、幼い頃の父との思い出の場でもあった「キャッスルホテル」で外国人が盛んに出入りしている事を思い出し、週末に出向いては外国人に声をかけて会話の中から語学を学び、いよいよアフリカへ発ちました

そして、女性が髪を束ねる為のひもを紹介したところ、その使い勝手好さから評判を呼び、商品が大ヒット。

滞在明日期間は3週間でしたが、最後の1週間で5年分の注文を受けて帰国し、増産体制に突入。抱えていた負債は7年で返済を完了しました。

こうして、会社経営を立て直した宣政さんでしたが、次に乗り出したのは事業拡大ではなく、医療機器の研究と開発でした。

これには大きな理由があります。それは、実の娘・次女の佳美さんが心臓に先天性の疾患を持っていて、その治療のため、命を救うためでした。

手術のために国内外を問わず名医と呼ばれる人物に当たってはみましたが、その返答はどれも明るいものではありませんでした。

手術に希望を見出せない状況が続く中、貯めていた手術費を、奥様である陽子さんが「寄付しましょう」と言い出しました。それは、研究機関に出資するという意味でもありました。主治医経由で東京女子医大に声を掛けたところ、その返答は人工心臓の研究を一緒にしましょうというものでした。

最初驚きはしたものの、この提案を受けて、高分子学会内の医用高分子研究会や東京大学、京都大学などを軒並み当たりました。

その間の資金は手持ちの個人扱いのもので賄っていましたが、三年の時を経て資金援助の出る体制を整えるためにもいよいよ『東海メディカルプロダクツ』が誕生します。

当初は地元愛知県春日井市に所有していた掘建て小屋を友人の協力で改造し、そこを事務所としました。

最初は人工心臓そのものの開発に勤しんでいましたが、助成や援助があっても資金が足りなくて、どうにも先へ進めませんでした。

そこで人工心臓の開発よりも出来る事はないかと切り替えて次に乗り出したのがバルーンカテーテルでした。

樹脂加工を専門にしている『東海高分子化学』と、人工心臓開発のために養った知識と技術を合わせれば、バルーンカテーテルなら最高水準の物を創り出せるのではないか、という発想の転換、そして回帰でした。

そしてついに完成したのが『IABPバルーンカテーテル』という、狭心症や心筋梗塞などで心臓の動作が悪い時に心臓の働きを補助するための医療機器です。

最初は人間への使用に抵抗を持つ医師が殆どでしたが、同じテーマで研究していた若い医師との対話が続き、熱心な研究成果の報告を続ける事で、抵抗を示していた医師も納得するようになりました。

1989年、カナダのトロントの「世界バイオマテリアル学会賞」を受賞。これは、宣政さん達の創ったものが世界で一番安全なバルーンであるという評価を証明するものです。

現在では、その他にも脳血管治療用のカテーテルや癌治療用カテーテルなどなど、数々の医療機器を世界に提供しています。

3年後の1992年。愛娘である、次女の佳美さんが永眠しました。

ついにその命を救う事はかないませんでしたが、佳美さんは病床に臥せている時でも、両親が創り出した医療機器の話を聞いては、「また、世界の誰かを救ったね」というような言葉を返し、微笑んでいたそうです。

世界一安全なものを創った両親と、世界一優しい心を持った娘の物語です。

まだまだ、世界中で苦しんでいる人達が救けを待っています。

これからも、活躍して頂いて、たくさんの笑顔を増やしていって頂きたいと、心から願っています。

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